医師

田村 太一 医師

医師 

TCB 東京中央美容外科
医師 田村 太一

Dr.Profile
神戸大学医学部卒。淀川キリスト教病院、神戸大学医学部附属病院で約7年間、外科医として第一線で技術を磨いたのち、2023年9月TCB入職。TCBグループ最大級の症例数を誇る梅田大阪駅前院にて2年半の研鑽を積んだのち、2026年6月、姫路院の院長に就任。技術力と学術の両面からTCBを支え、現在は院長として最前線でクリニックの運営とスタッフマネジメントに奮闘している。

Point1 手術に情熱を注いだ
外科医としての7年間
「20年後の自分」を思い描き、
見つけた新たな道

手術に情熱を注いだ外科医としての7年間 「20年後の自分」を思い描き、見つけた新たな道

私は学生時代から手術が大好きで、「自分の手でがんを切除し、患者様を直接治せる」というダイレクトな手応えに魅力を感じて外科医を志しました。それから7年間、毎日休むことなくオペに明け暮れ、器具の使い方や切開、止血、縫合といった、医師としての絶対的な「基礎の引き出し」を徹底的に叩き込みました。この時期に培った外科医としてのベースは、今でも私の大きな財産であり、強みとなっています。
しかし、子どもが生まれたことをきっかけに、私の人生観は少しずつ変わり始めました。
当時はとにかく忙しく働いており、朝は早く、夜の帰りも遅い。土曜日も病院にこもり、子育てはすべて妻に任せっきりという状態が続き、「このままでいいのだろうか」という思いが強くなっていきました。さらに、当時の上司である50代の部長たちが、夜中に緊急手術を行い、そのまま翌日の予定手術を執刀している姿を間近で見ていました。その外科医としての精神には心から敬意を表しますが、同時に「自分は40代、50代を過ぎて、この過酷な働き方をずっと続けていけるだろうか」と、将来に対する不安を感じてしまったのです。
その後は、QOLも大切にしながら、「療養病院・終末期医療や訪問診療」など、幅広い領域で経験を積みました。定刻で勤務でき、土日もしっかり休める環境は非常にありがたく、医療を多角的に学ぶ貴重な時間となりました。その中で改めて、自らの手で技術を磨き、より成長を実感できる医療に携わりたいという思いが明確になっていきました。そうして、成長とQOLの両立を目指せる美容医療の世界へ飛び込むことを決意しました。

Point2 「なにもできない自分」
という最初の挫折
梅田大阪駅前院で過ごした
約2年半の「贅沢な修行」

「なにもできない自分」という最初の挫折 梅田大阪駅前院で過ごした約2年半の「贅沢な修行」

数ある美容クリニックの中からTCBを選んだのは、見学時のドクターたちの雰囲気が最も良く、何より「一人のドクターとしてどう成長していけるか」というキャリアのステップが一番具体的にイメージできたからです。
しかし、いざ入職してみると、想像以上の壁が待っていました。外科でそれなりに一人前としてやってきたプライドがあった分、入職1ヶ月目の「美容外科医」としての自身の未熟さを痛感しました。その時は落ち込むことも多かったのですが、指導医の先生からの支えや「成長するんだ」という信念をもって研鑽に励みました。
多くのドクターは、ある程度の手技をマスターするとすぐに分院長などのポストへステップアップしていきます。その中で、私は梅田大阪駅前院に約2年半在籍し続けました。なぜなら、梅田大阪駅前院にはグループのトップドクターたちが集結しており、通常の分院ではなかなか経験できない難度の高い特殊な手術が日常的に行われていたからです。「ここなら、まだまだいくらでも高度な技術を盗める、勉強できる」その手術技術への飽くなき渇望が、私の長い修行時代のモチベーションでした。 さらに梅田大阪駅前院時代には、学術も担当されている先生から声をかけていただいたことをきっかけに、ヒアルロン酸の合併症トラブルに関する論文を執筆しました。この論文は、今でも他のドクターから数多く引用されていて、自分が手がけた学術研究が誰かの役に立っているという大きな充足感を得ることができました。また、単なる手術の習得だけでなく、グループトップの先生の近くで「クリニックの経営に関わる資料作成や戦略立案」など、純粋な美容外科医の枠を超えた多彩な業務を経験させてもらえたため、2年半という期間中、ただの1日も飽きることがありませんでした。

Point3 病院時代の慢心から脱却
自由診療ならではの
「ギャップ」との格闘

病院時代の慢心から脱却 自由診療ならではの「ギャップ」との格闘

TCBでの2年半は、私自身の内面を大きく変える「人間力の試練」の連続でもありました。
病院時代、特に外科の世界は「外科医が中心となったチーム」という縦社会が顕著に表れていました。恥ずかしい話ですが、入職当初の私は、無意識のうちにその傲慢な態度を現場で出してしまっていたのだと思います。入職して間もない頃、そのコミュニケーションの姿勢について指摘を受けることもありました。
ここでは医師だから偉いなんてことは一切なく、全員が一緒にクリニックを創り上げる対等な仲間なんだ。その事実にハッとさせられ、それからは先輩の指導医の先生方がいかにスタッフを尊重し、フラットに接しているかを必死に観察し、自分のコミュニケーションのあり方を一から猛勉強しました。また、もう一つの大きな壁は「カウンセリング」と「数字の意識」でした。
外科医の癖で、診察の際についリスクや合併症の説明ばかりを強調してしまい、患者様を怖がらせてしまうという失敗を何度も繰り返しました。医療としての正しいリスク説明と、自由診療として患者様の美の願いを叶える提案との絶妙なバランス。これに本当に納得がいき、自分なりの診察スタイルを確立するまでには、入職から1年半〜2年という長い時間がかかりました。日々データを集め、カウンセリングの勉強を重ね、試行錯誤を繰り返した結果、今では現場のカウンセラーから「ぜひ田村先生に診察に入ってほしい」と言ってもらえるまでの信頼関係を築くことができました。

Point4 念願の院長への就任
スタッフ一人ひとりの幸せを
支えるマネジメント

念願の院長への就任 スタッフ一人ひとりの幸せを支えるマネジメント

私は以前から「いつか院長として自分のチームを持ち、組織を動かしたい」という強い希望を持っていました。一度、分院長の選考で先輩ドクターに負けて悔しい思いをしたこともありましたが、諦めずに挑戦を続け、自ら手を挙げて念願の姫路院の院長への就任を掴み取りました。
実際に院長になってみての率直な感想は「院長というのは、ここまで大変なものなのか」という驚きです。梅田大阪駅前院時代にもマネジメントの勉強をし、部分的な業務は手伝っていましたが、いざ院長という立場に立つと、決断すべきことの重さが全く違いました。今は、梅田大阪駅前院時代に行っていた学術活動を少しセーブし、まずは姫路院の院長として、組織の数字と結果を出すことに100%のエネルギーを注いでいます。
現在、私が院長として取り組んでいるのは、姫路院のスタッフ全員との「個人面談」です。面談を通して「上を目指してバリバリ稼ぎたい」というスタッフもいれば「長く安定して楽しく働きたい」というスタッフもいることがわかりました。かつてドクターである自分自身が、キャリアと家族とのバランスで深く悩んだからこそ、そのどちらの生き方も正解だと心から思えます。
重要なのは一方的に「こちらが求める型にスタッフをはめ込む」ことではなく、多様な価値観へ並走することだということを深く実感しました。
私の役割は、スタッフ一人ひとりの「理想の将来像」に耳を傾け、このTCBという場所でそれぞれの幸せを叶えられるように一歩引いてサポートすること。その結果として、スタッフがポテンシャルを最大限に発揮してくれた先に、クリニックの売上や数字という結果が自然とついてくるのだと確信しています。

田村 太一 医師の声

田村 太一 医師の声

田村 太一 医師の声

新しい自分へ
「成長したい」という
強い意欲を
持つ先生へ

もし、美容医療への転科を「保険診療を離れる不安」や「医師としての今後のキャリア」などの理由で躊躇しているなら、お伝えしたいメッセージがあります。
それは、「あなたが人生において、何を一番大切にしたいか」をシンプルに考えてほしいということです。家族との時間、ドクターとしての真のやりがい、あるいは新しいビジネスやマネジメントへの挑戦。もしそこに少しでも心が動くなら、外のノイズを気にする必要はありません。
ただ、美容医療を給料面や待遇面だけで選ぶのはおすすめしません。入職初期に訪れる「これまで築き上げてきたものが通用しない」という現実に、心が折れてしまう可能性があるからです。
しかし、もしあなたが「これまでのキャリアの延長線上に留まらず、新しい技術を学び、ドクターとして人間として一回りも二回りも大きく成長したい」という強い熱意を持っているなら、TCBはこれ以上ない最高の舞台です。病院診療を続けていては決して得られなかった圧倒的な経験と、真の成長がここには待っています。熱い信念を持った先生が、私たちの仲間に加わってくださる日を心から楽しみにしています。

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東京中央美容外科は創立から現在まで、全国に展開している業界急成長のグループです。
「私たちに関わるすべての人を幸せに」という企業理念のもと、グループ全体で患者様にとって通いやすい環境、スタッフにとって働きやすい環境を目指し様々な施策が取られています。

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